浮雲

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掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン

ある日彼女のトイレの水があふれて、うちのシャンデリアを伝って床まで水がしたたり落ちた。まだ灯ったままの明かりに水しぶきが散って、虹がかかっていた。アーミテージさんは死にかけの冷たい手でわたしの腕をつかんで「ああ、奇跡みたいだわねえ」と言った。(エンジェル・コインランドリー店より)

※「彼女」とはアーミテージさん。水漏れを起こした真上の部屋に住む老婆。

 

トイレの水、虹、死にかけの冷たい手、奇跡。

 

どこのページでも構いません。もしこの本を手に取る機会があったら、指の吸い付くところから開いてみて下さい。そこからほんの数ページ読み進んでみれば気がつくと思います。おおよそ一文に並ぶはずも無い言葉が、あたかもそれ以外に表現方法がないみたいに書き連ねて有ります。

 

なんなんだこれは、と思った。聞いたことのない声、心を直に揺さぶってくる強い声だった。行ったことのないチリやメキシコやアリゾナの空気が、色が、においが、ありありと感じられた。見知らぬ人々の苛烈な人生がくっきりと立ち上がってきた。彼らがすぐ目の前にいて、こちらに直接語りかけてくるようだった。(訳者あとがきより)

 

もちろん全ての作家さんは、その人独自の表現方法を持っています。その中でも、ルシア・ベルリンならではの描写には強く惹かれます。彼女の言葉はナックルボール。有りえない角度で揺れながら飛んでくる魔球。

 

決して奇をてらう文体では有りません。ごく誠実で真面目な私小説・短編集です。でもその中のそこかしこに現れる、意表を突かれる描写。その描写を鮮やかに収める文章力。

 

なんなんだこれは...

私もまたそう感嘆した一人です。