浮雲

読む 読み取る 感じてみて考えてみる 読書記録の部屋です

夜のささやき、闇のざわめき 英米古典怪綺談集

海外古典文学の読みにくさを考える時に、こんな経験はないでしょうか?

登場人物がやたらに多く、その人名もなにやら発音しづらく憶えづらく、それらの関係を把握しきれないまま物語が進んでいく。

あるいは、修辞句がとても長く多く、文章の流れが冗長に感じる。

文章に凝らされた修辞法を忠実に翻訳するあまり、日本語として不自然。

 

これらの事は、海外古典文学のもつ文章の豊穣さの裏返しですね。修辞法を巧みに使い格調高く文章を書き整える。そこが古典文学の魅力でもあるのですが、その格式がいかにも重く億劫に感じる時もあります。

そんな時、古典文学の味わいも残しつつ、もう少し軽く読める読み物として奇譚集を読むことがあります。

 

この本は、14編からなる奇譚集です。

「奇譚」珍しい話・不思議な話。勿論、怖さもその中には含まれるのですが、「不思議 > 怖さ」な物語が好きです。恐怖モノのミステリーでは息抜きになりませんから。

 

ときおり、マスが蛾をとらえるパシャッという水音。それを除けば、夜の完全な静寂を犯す音はなかった。  そうして丸々一時間ばかりが過ぎた頃、私はこの半ば夢見るような陶酔状態からふと我に返った。身を乗り出し、耳を澄ませた。それは真夏の夜に耳にするには奇妙な音だった。それでもやはり、沈黙に慣れ、研ぎ澄まされた私の耳には、それは凍りついた水面を緩やかな曲線を描きながら滑走する人の、スケート靴が規則的に氷を蹴る音にしか聞こえなかった。

ほとんど無意識のうちにその岸のカーブに目を凝らすと、そこは丈の高い木々の落とす影でインクのように真っ黒だった。沈黙に慣れた私の耳はその音の変化を一つ一つ辿り、その意味を解釈し、やがて私の心は囁いた。「ほら、来るぞ」(湖上の幻影より)

 

私が感じる海外の奇譚集の魅力は、不思議さ怖さが美しさと共にある、と感じる点です。美しく調和の取れた情景の中に、突然異質な何者かが現れる。え?どういう事?その瞬間心が惑い、その異物を理解しようとするうちに恐ろしさが湧いてくる。そんな心の動きが好きなのです。

 

重い重い物語に疲れてしまった時、奇譚集を手に取りページを開いてみて下さい。「ほら、来るぞ」